私が私を眺める視線

私のブログを見なさい。ありていにいえば、私のブログを見よ。
この人を見よから触発されたにしては、ブログという単語によってなんとも矮小化された印象が強くなる言葉です。
それはさておき、本当のことを言おうかと思います。いわゆる「本音」というやつです。
それは、私のブログなど見なくてもいい、だけれども、私に投資だけはしてほしい、ということです。
私に投資することによって得られるメリットが一切ないことをあらかじめお伝えしておかなければならないでしょう。
バックを期待してするのが投資であることを考えると、私は絶対に投資の対象にはなりえません。
そんな私に投資をしてほしいと、他ならない私が言っているのです。これはすごい自信ではないですか。
私が、私ではない存在、【私】として、このように「私に投資をしてほしい」と言っている私を見たなら、どうするでしょうか。【私】は、はたして私に投資をするでしょうか。
【私】は、私に投資しないだろうと思います。ただ、投資しなかったからといって、「私に投資してほしい」といっている私に対して【私】が好感を抱かなかったというわけではありません。
むしろ、【私】は、私のことがどうやら嫌いではないようです。投資はしませんが。

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